音楽院に14年
音楽院の14年の間、ガブリエル・フォーレやエミール・ペサールらの下で学んだラヴェルは、有名なローマ大賞を勝ち取ろうと試みる。
しかし作品のクオリティーを認められながらも年齢制限により最終選考から外されるなどした。
その落選理由の不純さは波紋を呼び、フォーレをはじめ、ロマン・ロランらも抗議を表明。パリ音楽院院長のテオドール・デュボワ(Théodore Dubois)は辞職に追い込まれる事態となった。
これは「ラヴェル事件」と呼ばれている。
結局ラヴェルはローマ大賞に5回挑戦。1901年には最高3位まで上り詰めている。
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